北九州市立美術館WSレポ(2)
僕はより自由な表現を求めてアーティストになりました。しかし、僕が表現メディアに選んだワークショップでは、参加者はある意味不自由と言えます。これがこの数年のジレンマだったとレポ(1)の冒頭でも書きました。地元前橋でレジデンスしている清心幼稚園のように毎月レギュラーでワークショップを行える場合はある程度テーマを子どもたちの気持ちに合わせていくことができますが、公立美術館のような施設が行う公募型のワークショップの場合は、アーティストが設定したテーマに沿って、予算立て、広報、実施に向けた準備が行われることがほとんどです。前提としてアーティストのやりたいことがあり、さらにその前提に美術館もしくは行政の意図があり、参加者にとって表現の自由を奪っているようにも感じてしまいます。自由な表現であるはずのアートという意味で言えば、学校の美術の授業よりは自由程度と言わざるを得ないでしょう。
とは言え、元来の「工房」という意味にたちかえれば、多様な制作体験としてのワークショップの社会的意義は大きいことも確かです。普段は行かない美術館に行ってみることや、普段遊んでいるような場所にやってきた美術館のワークショップに参加してみることは、休日の過ごし方レパートリーの一つになることは、日常を豊かにしてくれるはずです!
レポ(1)の繰り返しになりますが、《ぬいかけの植物園けいかくしつ》ワークショップにおける最大の不自由さは「植物園であること」です。動物園であっても、映画館であってもいけないのです。しかし、これは違う角度から読み解くことができます。「植物園であればなんでもいい」んです。僕は本物の植物園にはあまり意識的に行ったことがないので、正確にどんな場所なのかリサーチしたわけでもありませんし、植物園を再現したいわけでもありません。10年(くらい)かけて植物園を作ることを目標にし他のですが、順を追って説明すると、10年くらいかけなければできなそうなものって何かと考えた時に、植物なら毎年大きくなるから10年かけるテーマにぴったりだった、植物をつくること以外にも多角的な活動を生み出せるように植物園はどうか、という感じでした。植物園である不自由さの中に、植物園であるからこその自由さを生み出すことができるように、もしくはその交渉の余地になるようにタイトルを考えました。
5日間のうち、前半の3日間は植物や植物園のイメージをスケッチしたりしました。後半の2日間を《植物園をぬいかける》と題して、実際に植物のぬいぐるみをつくってみることにしていました。
後半第1日目は、初めて縫い物でぬいぐるみをつくってみる日でした。今後数年(目標は10年)かけて育てて行くための1日目です。つまりこの日の参加者に限って、何もない状態からぬいぐるみをつくっていくことになります。今後は、誰かがつくったぬいぐるみの植物を、大きく(もしくは枯れたり?)するために手を加えていく作り方になっていきます。僕は学生時代の家庭科の授業レベルで言えば、裁縫は得意でしたが、植物のぬいぐるみをつくったことはなく、どのように大きくしていけばいいのかは分からず、具体的なやり方は決まっていません。他力本願な言い方にも聞こえるかもしれませんが、余地として決め切らないまま残し、参加者やスタッフと一緒に少しずつ決めていければいいと思っています。 会場は半屋外で日陰だったため気温が低く、とても寒い場所でした。この日、外は天気が良く、気温も上がってきたので会場をすぐ出て外に設置されているカバの彫刻作品の周りで裁縫をすることにしました。このカバは鉄製なので、暖かいのです!
連日のワークショップは、午前を公募制で定員20名、午後を申し込み不要の参加自由制に設定し、午前中の参加者が、午前中にできなかったことを午後にじっくりやったり、今後植物園を一緒につくってくれるレギュラー参加者として残ってもらいやすくなればと思っていました。(※リピーターについてはレポ(3)に続きます。)どうしても20名の参加者がいると、たとえおもしろいアイデアが出たとしても、全て実現できたり取り組めたりするわけではないからです。しかし、裁縫の作業をスタートした4日目は、過去の3日間に比べて午前の参加者が午後まで残る率が低くなってしまいました。基本的に午前中の時間でワークショップ自体は完結するようになっていますので、必ずしも残ってもらわなければいけないわけではありませんが、裁縫の作業はキリがつけやすいため、比較的作業を終えて満足しやすいものだったからなのではないかと推測しています。仮に満足していただけたなら、こちらの仕事としては十分ではありますが、”余地”を残してタイトルにした『ぬいかけの』という意味では、キリがつかない程度に終えることで、ワークショップ終了後の日常に持ち帰れるものが生まれる気がします。作品が完成したり、キリがつくことで、作品のみが成果になり、プロセスはただの作業や労働ともなってしまいます。ワークショップは「工房」だと書きましたが、工房とはものをつくる場所のことです。完成した作品が全くないわけではありませんが、つくったり、つくることを巡って様々な試行錯誤や検証をする場所です。そこにあるのは、つくるためのサイクルであり、つくって完成して、完結するものだけではありません。
ただ、つくづく思うのは、作り方を指示して僕のイメージを参加者につくってもらったり、作り方を教えるようなスタイルのワークショップは僕のスタイルとは合わないということです。タイトルに自由度の余地を残したとはいえ、植物園の植物の部分が見えてこない分には進まないことやできないこともあったりします。彫刻の周りで日向ぼっこをしながら裁縫に勤しむ日もあれば、自由を求めて交渉を繰り返す日もある。ねちっこいかもしれないけど、繰り返し参加をしてもらって、いろんな日を一緒に過ごしてもらえることをオススメしたいのです。
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