大学生向けの授業で考えたこと
2015年度から玉川大学教育学部の授業にゲスト講師として呼んでいただき、ワークショップの紹介やレクチャー、授業内で大学生向けに簡単なワークショップを行うようになりました。主に栗原啓祥先生が担当されている「人間関係」をテーマにした授業(正確な授業名が知らされていない…)で、小学校の教員を目指す大学生たちに、僕が色々な現場で「人間関係」について考えたことをお伝えしています。
とはいえ僕は保育や教育の専門家ではないので、アーティストとして、現代美術ならではの視点を通してお話をしています。「人間関係」について考えたことや経験を、レクチャー形式で伝達するだけではなく、テーマを巡る問題について提起し、ワークショップを通して考えてもらう機会をつくれるように配慮しています。
特に、同世代の他者と圧倒的な時間を過ごす「学校」という場所についての違和感や問題について、先生と生徒、生徒同士の間にある『当たり前』や『常識』を押し付け合う構造についてのワークショップを《ルールを守って正しく遊ぶ》というタイトルでデモンストレーションしています。※内容は非公開。
子ども向けのワークショップと聞くと、カラフルな素材を使って持ち帰れる小作品をつくる工作教室のようなシーンを思い浮かべるかもしれませんが、一番大事なのは可愛い作品が出来上がることではなくて、そのプロセスの中でどのように遊び、その遊びを通じて何かを感じ、考え、想像するかということだと考えています。教育の言葉で言えば、それは学ぶこととなり、学校の授業で先生から知識や技術を伝達することとは違い、他者との様々な体験を通して、自ら主体的に学ぶことに置き換えられます。
先日、僕のレクチャーとワークショップを受けて、学生のみなさんがワークショップ的な遊びを企画し、授業内で実践してみるということで、授業にお邪魔しました。ワークショップデザインやアクティブラーニングを専門的に学ぶ講座ではないので、あくまで体験的なものでしたが、4つのグループが20〜30分程度のプログラムを考え、他の受講生に向けてやってみるというものでした。

おもしろかった部分を少し紹介すると、4グループ中1グループのワークショップはこのような張り紙が予め準備されており、2つある出入り口に掲示された。参加者が最初に目にする張り紙にあるように、参加者は一度教室から出るように指示され、再度教室に入る際にファシリーテーターに新しい人格を書かれた紙が渡されるというもの。出入り口が2つあり、廊下を通じて反対側の出入り口に誘導できる教室の形をうまく活用している例といえる。また、再入場の際の張り紙には「教室に入ると、新しい自分に出会います。」という、一見教育というより宗教の授業かと勘違いしてしまいそうな文章でもあるが、これが廊下に貼られているということは、授業を受講していない学生や大学関係者の目にもとまるということだ。
教室といえば、学習し、受講する前に比べて成長するという意味で言えば、確かに新しい自分に出会える可能性のある場所と言えます。しかし、この張り紙は「出会います」と断言しています。単なる学生の書き間違えとも受け取れますが、先生から生徒への一方向的な伝達という性質上、ものの言い方1つでそれは可能性にも強制力にも変わってしまいます。集団で行動し、コミュニティーの中で生きていくためには、一人ひとりが好き勝手に行動してばかりはいられず、そのために人は様々なルールや法律、慣習などをつくってきました。しかし、学校という場所で、そういった社会生活に順応するという目的のもと、ルールを守ることを訓練されることは、ルールの背景にある人間関係を形成し、コミュニティーの中で生きることへの問題意識を見えなくしているように感じます。
人間は失敗する生き物です。このような誤植、もしくは読み間違いを不正解とするだけではなく、新しい解釈をし直し、遊びに変えてみることで、見えにくかったものについて考えたり、ロボットには置き換えられない人間ならではな文化が見えてくる気がします。
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