日本保育学会で感じたモヤモヤ
日本保育学会でポスター発表しに、岡山に行ってきました。美術の勉強しかしていない自分が、(いや、別に「勉強」した訳ではないかもしれない…。)学会だなんて…。しかも保育の。僕は保育学の専門でもないし、幼稚園と関係するようになったこの5年間でも、保育にまつわる知識や技術を学んでおりません。(学歴上は)現代美術を大学で専門的に学び、アーティストとして生き抜いてきただけなのに。もう数年は幼稚園で遊びたいと思っていますが、あくまでアーティストとして生きていきたいわけです。幼稚園の造形指導員的なものを目指しているわけではないし、保育業界を生活費稼ぎのバイトポジションだとも考えていません。僕にとって保育業界と関わっていくことは、アーティストとしての一つの表現活動であり、そのための社会課題のリサーチのためのフィールドワークでもあるという位置付けなんだと強調しておきたいのです。
せっかくなので、僕のポスター発表の内容に簡単に触れておくと、清心幼稚園(前橋)の栗原啓祥副園長が筆頭者の共同研究で、「地域と園の試み(2)−アーティストと対話する保育実践に着目して−」というものでした。清心幼稚園が地域とのつながりの中で行なっている保育実践の事例発表のその2という位置付けです。今回は、アーティスト中島佑太が園に関わり始めた2012年の事例を分析しちゃったりして、幼児と保育者、アーティストがどのように変化したのかを考察し、提示しました。この、子どもだけじゃなく、保育者やアーティストという周りの大人も一緒に変化していく、というのが大事なポイントなんです!
今回は初めての参加だったこともあり、自分の興味関心で出向いたというよりも、自分の発表のついでに「学会がどんなとこなのかなあ、見てみたいなあ」という気持ちの方が強かったのです。それでせっかくなので要旨集から自分の興味に近いテーマを探し、いくつかの発表を見学しました。引っかかるキーワードとしては「造形」「表現」「アトリエ」「アトリエリスタ」「臨床美術士」「アウトリーチ活動」といったところです。アトリエリスタや臨床美術士といった美術やアートエデュケーションの専門スタッフが、保育現場に介入している事例がいくつかあるんですね。アートと保育ってやっぱり親和性が高いな!とも感じられました。
ところで、アトリエリスタや臨床美術士ってどんな職業なのでしょうか?
アトリエリスタは幼児教育に関わっていると、よく耳にします。臨床美術士は初めて聞きました。簡単にひとくくりにするべきではありませんが、いくつかの発表を見るとアトリエリスタや臨床美術士の説明に、幼児教育に携わったり、園内のアトリエに常駐するアーティスト・芸術家とあるではありませんか。それでは、アーティストってどんな職業なのかと気になりませんか?
アトリエリスタや臨床美術士と違い、アーティストには認定や資格がありません。つまり、アーティストは「自称」です。アーティストになるには、「僕は今からアーティストです!」と宣言してしまえばいいわけです。(アーティストのみなさんには怒られそうですが。)
そして、アーティストと名乗るからには、アーティストたるべき活動をしている必要があ理ますよね。分かりやすいのはアート作品を制作することでしょうか。もしくはアート作品に値するような表現活動やその行為もそうでしょう。
ある発表者は、「アーティストはどういう人か?」という質問に対して、「美術を専門とするバックグラウンドがあり、小学校の教員免許を持っている人だ。」と回答していました。これはアーティスト個人の紹介としては説明がつきますが、アーティスト全体を指す意味としては語弊があります。繰り返しますが、アーティストは自称です。今日では、アート作品における表現方法も多種多様で、とても幅広いジャンルです。そんな時代の中で、アーティストってどんな人なのかを説明する時に、重要なのは「固有名性」なのではないでしょうか?つまり「誰か?」ってことじゃないかと思います。
例えば、ライブハウスでライブを見るとします。その時ってアーティストなら誰でもいいわけじゃないでしょう?アーティストの名前で聞きたいかどうかを判断すると思います。もちろんそのアーティストを知らなくたって、聞いてみて好きになるかもしれない。そしたら曲を覚えて、またその人のライブを聞きたくなるわけです。幼稚園・保育園の子どもたちもそうなんじゃないでしょうか?僕は幼稚園で「なかじ」の愛称で呼ばれています。自画自賛になってしまいますが、子どもたちは「なかじとアートするのが楽しい!」と思ってくれているようです。僕が東京芸術大学卒業の美術学士だから、とは誰も考えていないように、子どもたちは僕の固有名性を見ているんじゃないでしょうか?(大人はある程度学歴で判断することもあると思うけど。)
論文とか、研究の発表は性質上、固有名詞を伏せ、イニシャルなどを用いる傾向があります。(それがルールなのかは知りませんが。)幼児教育の中での造形表現だけでなく、美術館などで行われるワークショップもそうですが、どの事例を見ても、既視感のある似たような活動が多いと感じます。理由を掘り下げると愚痴っぽくなりそうですが、一つは保育現場にいる人間(対象者)の固有名を伏せて、「子ども」「保育者」というカテゴリーでくくって、「幼児教育はこういうもんだ。」って勝手にレベルを設定しているように見えます。まるでイニシャルのようなワークショップです。
僕が見たいのは、そういうイニシャルのようなワークショップではなく、保育現場に関わる”アーティスト”が、子どもたちの世界で何を見て、感じ、どのように変化したのかです。そしてそのフィードバックの向こうに、どのような表現活動が生まれるかということです。それを子どもたちだって見たいと思っていると思うんだけどな。
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